どん底マン誕生の歴史⑥
~続きでございまぁす~
知人の紹介で新しい職場へ。まぁ、色々と大変ではありましたが、前にいたブラック職場に比べれば随分良いところでした。理不尽な八つ当たりをする奴がいなければ、社会人としての常識をちゃんと教えてくれる上司もいました。
さあ、頑張って新しい人生を歩きださなきゃ!・・・意気込んでも借金は減りません。支払いが矢継ぎ早に襲ってきます。どうする?どうやって乗り切る?金がない。パチスロで勝てれば・・・
仕事が終わってから、休日、空いている時間があれば常に打ってました。勝たなきゃ借金が返せない、毎日冷や汗をかきながら青い顔をして打っていました。ちょうど4号機が終末を迎え、ホールから姿を消し始めた頃でした。ジャグラーのバケ確率の高い台を探しまくって打ちまくってた記憶があります。ほとんどバケしか引けず、収支は大幅にマイナスでしたが 笑
勝てる訳がない。ただでさえ打ち手が圧倒的に不利なパチスロ。さらに5号機の台頭で、台の出玉性能は大幅にダウン。完全にお手上げ状態になったところで、私の様子がおかしいと勘づいたんでしょうね、とある友人が(こいつもスロで借金抱えたヤツでした)「債務整理に強い弁護士を知ってる、自分も借金を整理してもらったから一緒に行こう」と声をかけてくれて、一緒に弁護士のところへ行きました。当時は、貸金業法や利息制限法などの大幅な改正があり、「任意整理」というものが一気にメジャーになりはじめた時期だったと思います。日々の借金苦で疲れ切っていた自分には「テレビでやってるあれかぁ」くらいのものでした。
車で2時間程度、県外にある弁護士事務所へ行き、任意整理の手続きをしました。弁護士先生に「もうギャンブルはやらないんだよ!」と言われたことが強烈に残っています。
ちなみにここでは詳しく書きませんが、ちょうどこの頃に大事な大事な彼女を失います 笑 こんなカスな自分に10年以上もついてきてくれました・・・。
弁護士事務所に行った後は、サラ金業者とのやりとりの状況が書類で送られてきました。そして、3~4か月後くらいから返済がはじまりました。利息がなくなり、さらに元金から利息の過払い分がさっぴかれ、支払いは相当楽になりました。
・・・が、チンカスオブチンカス、どん底マンはパチスロを辞めようとはしませんでした。限界以上まで打ち、苦しくなれば今度は貸金業者からではなく、知人から金を借りるようになります。それでもパチスロは止まりません。そりゃあそうですよね、病気なんですもの。辞めれる訳がありません。借金返済、生活費で給料はゼロ。暗く湿った地面を這う様に生きる様は、まるでゴキブリ。味気ない生活がひたすら続きます。
それでも5年の歳月をかけて任意整理した負債を返し切ります。
~どん底マン誕生の歴史⑥へ続く~
ワタクシの中でベストオブパチスロかもしれません。初代アクエリオン。不動チャレンジ(だったっけか?)さえ入ってしまえば設定なんて関係なし!まぁ、押し順なんてほとんど当たらなかったですけど 笑